2007年03月04日

森の泉

物音ひとつしない静寂に包まれた森の泉が、虹色に輝いている。
乱反射した七色が辺りを照らし、まるで天上にいるようだ。

小さな泉のほとりに、ふたつの人影がある。
横たわる高耶の上体を、跪いた直江が柔らかく抱いていた。
周囲には草花が咲き誇り、ふたりを祝福するかのように蝶が舞っている。

高耶は、双眸を閉じていた。
その瞳は二度と、開くことはない。
抱いた高耶の顔を直江は飽かず見つめ続け、さらさらと指に流れる黒髪を梳いていた。


夢を見ているのだと、わかった。


ふたりで住もうと約束した、海に突き出た岬の先端にある小さな家。
いつでも波の音が聴こえて、鳴り止むことは決してない。
自然の懐に抱かれるような、心が安らぐ家だった。
そして、そばにはいつも、あの男がいる。

気が付くと、家は大変な騒ぎになっていた。
千秋や綾子に色部が、赤鯨衆の賑やかな面々が、さらに美弥や譲まで大勢押し掛けて、地雷が鳴り響くような大宴会になっていた。
笑い声がそこここで上がり、誰もが満面の笑顔を浮かべている。

高耶は皆に囲まれて幸せそうで、時折、輪の外から見守っている直江に向けて微笑した。

――高耶……。

突然、世界でたったひとりしか呼び得ないニュアンスで名前を呼ばれて心臓が跳ね上がった。
ずっと反発しながらも、心の奥底で求めていたひとりの声。
驚いて振り返った視線の先には、中年の女性がひたむきに高耶を見つめていた。

「母さん……」

高耶をこの世に産み落とした、生命の根源である母・佐和子がそこに立っていた。
ついにわかりあえることのなかった母子だ。
年月の流れは佐和子の相貌に年輪を刻ませたが、息子への想いだけは変わることがなかった。
その佐和子が、万感の思いを込めて、今にも泣きそうな笑顔を浮かべている。

見つめ合うだけで、こんなにも通じるものがある。今ならわかる。
話したいことはたくさんあるのに、もどかしいくらいに言葉が出てこなかった。

――高耶……。

佐和子はやっとの思いで言葉を紡ぐ。

――あなたを産めたことが、母さんの幸せよ。
  生きていてくれて、ありがとう……。

自分から見捨てた息子にしてやれることは何もなかった。
それでも仰木高耶は自分の息子だと、誇りを持って叫んできた。

皺を隠せない佐和子の眦から、涙が一筋滑り落ちる。
それに導かれるように、高耶の瞳も潤んで揺れた。

「オレも……。オレも、母さんの息子で良かった。ありがとう」

いつか、必ず想いは通じるのだ。
どれだけの年月がかかろうとも。
自分と直江がそうだったように。

「母さん。オレは今、とても幸せなんだ」

大切な友がいる。大切な仲間がいる。
そして何より、人生を共に歩む大切な人がいる。

これまで四百年生きてきて、自分は初めて生きていていいのだと思えた。
生きて生きて、生き抜いてきたこれまでの道のりに、高耶は一点の悔いもない。

今、心から満たされているとはっきり言える。

(直江)

生きることの意味を、おまえが気付かせてくれた。
共に走り、共に戦い、共に乗り越えてくれたおまえがいたから、ここまで来れたんだ。


気が付くと、佐和子の姿は消えていた。
そしてまた、周囲の喧騒が戻ってくる。

皆の笑顔が眩しくて、高耶は瞳を細めた。
これ以上望むものは何もない。
ずっと、この時が続いて欲しい……。

高耶は心から願った。


夢は、永遠に覚めることはない。
高耶は昏々と眠り続ける。

辺りは光が満ち溢れ、鳥のさえずりがこだまし、太陽の光が柔らかく高耶の上に降り注ぐ。

直江の腕の中、高耶は微笑んでいた。


直江――。
おまえをずっと、愛しているよ。
今度はオレがおまえを包むんだ。
おまえが安らかに眠れるように。

おまえのぬくもりがオレを包んだように、
オレの光がおまえを照らしていくよ、どこまでも。


--------------------------------------------------
2005/02/20 初出
2007/03/04 改稿

原作完結後に有志で一時期活動した「仰木桜保存会」本誌に載せた作品です。掲載に際してかなりの改稿をしました。
本誌のテーマが「キス」だったにも関わらず、編集者なのを良いことに全く関係のない作品を載せてしまって申し訳なかったです;
でもどうしても入れたかった。

さっき40巻の高耶ラストシーンを読み返して、久しぶりに泣きました。
母子の姿が書きたかったとかありますが、あまり多くを語る必要はないと思います。
全ては作品の中にあるということで。
posted by akiya at 02:46| ミラ小説アーカイブス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。