2007年03月03日

展望台

私は今日も、展望台へ車を走らせていた。
事あるごとに、あの場所で時間を過ごすのが日課のようになっている。
山間にある、白く小さな展望台。
どこまでも続く澄んだ海と空が、心を浄化してくれるような気がしていた。

車を走らせること数十分。
細い道がやっと開けて、波の音が耳をつんざいた。
ああ――これだ。
会いたくてたまらない親友に会いにきたような気持ちで、私は思わず微笑んだ。

車をいつもの場所に停めて、展望台への階段を上がっていく。
ふと、何かいつもと違う違和感を感じた。
誰か、人がいる。
普段なら階段を駆け上がる勢いで登るのに、そのことに気付いた途端、私は緊張で体を固くした。

ここはめったに観光客も来ないし、会わないように時間もずらしている。
それなのに、今日はなんて不運なんだ。

チリチリと、嫉妬にも似た炎が胸を灼く。
勝手だとわかっていながら思う。
ここは私だけの場所だったのに。

狭い展望台だ。
もし自分が行って、ふたりきりになっても気まずいだけだろう。
仕方なく、相手の様子を窺おうと、階段の踊り場からそうっと上を覗いてみる。
そこにいるだろう人の姿は、なかなか目に映らない。

瞬間。
耳にメロディが流れ込んできて、私は「あっ」と声を上げそうになった。
突然のことで心臓が跳ね上がったが、どうやら上の人が口ずさんでいるらしい。

何の歌だろう。聴いたことがあるような、記憶を呼び覚ます優しいメロディ。

私はその人の姿が見たくなって、見つからないように注意しながら踊り場から身を乗り出してみた。
見えた。
見えにくいと思ったら、その人は床に座り込んでいた。
風に吹かれながら気持ちよさそうに目を閉じて歌う横顔が見える。
服装はジーンズにパーカーという組み合わせで、色使いのセンスは良いが至って普通の服装だ。

地元の人? 観光客?
ただの人だがそうでないようにも見える。
不思議と私は、その人の横顔から目が離せなくなっていた。


だって、私が何よりも愛する、波の音とその人の歌声が共鳴していたから。
優しいさざ波のように、弾けてはしゃぐ波のように、感情豊かな歌声が私の体中を包み込む。

ああ――。

思わず、天を仰いでいた。
どうしてこんなにも、胸が締め付けられる――。


その人は一時間ほど展望台で歌い、何事もなかったように颯爽とバスで去っていった。
彼女が展望台から下りる際に、慌てて自分も下りて木陰に身を隠した。
そこから身を開放し、大きな溜息をひとつ。

結局、彼女に話し掛けることはできなかった。
歌声しか知らない、名前もわからぬ女の人。
やっと展望台に上がれた私は、同じように彼女がいた場所に座ってみた。
彼女が口ずさんでいたメロディを、体が覚えている。

自分も同じように、旋律を紡いでみる。
だけど、次の瞬間には首を横に振っていた。
――全然違う、あの人と。
何て稚拙なんだろう。これじゃあ波と共鳴なんてできやしない。

あなたは一体、何を想って歌っていたの?

あの人がいるだけで、自分のものだと思っていた展望台が不可侵の場所に変わっていた。
触れてはいけない。近付きたくても近づけない。

自分なんて所詮、それだけのちっぽけな存在だ。
なんだかとても哀しく思えて、膝を抱えて蹲る。
寄せては引く、波の音をそうしてずっと聴いていた。
頭の中では、狂ったオルゴールのように彼女の歌声が鳴り響いていた。


後に私は、その人が小説家だと知ることになる。
作品を読んで、吐き気をもよおした。
展望台で抱いた印象とは全く違う、生臭くて目を背けたくなる臓腑を描く筆致だ。
見てはいけない深淵を見るような小説は、麻薬のように体中に回って気がおかしくなる。
快感だか苦しいのかわからない。
感情がセーブできず、喚き散らしては狂ったように叫ぶ。

あの人は透明なんかじゃなかった。
騙された。
いや違う。
あの人は全ての色を持っていたのだ。
人間の狂気、嫉妬、犠牲、救済――人の心を全て持てば、それは混ざり合って昇華され、透明な色になるだろう。
全てを受け入れる潔さ。
どこまでも真摯であろうとする姿勢。

汚いものも綺麗なものも、全ては「人間」に帰結する。
――それこそが愛しい「命」だった。

彼女はきっと、器用な生き方はできないだろう。
曝け出すだけ曝け出して、吐き出すだけ吐き出して、何も残らないかもしれないのに、それでも表現することを止めようとしない。

ただ、足を進めるだけだ。
地を踏みしめるように、一歩一歩。
時には転んで地面に爪を立て、ギリギリと音をさせながら苦しみもがく。
もうこれ以上は登れないと、喚いて暴れる時もあるだろう。
人に理解されず、悔しさに涙を落とす時もあるだろう。

それでも歩き続けるこの人を、私はきっと見続けなくてはいけないのだ。
展望台での彼女も、小説家としての彼女も。
同じひとりの人間として、全てを受け入れよう。


そして私は今日も車を展望台に走らせる。
もう一度あの人に会うことができたら、今度こそ声を掛けよう。
今なら共鳴できそうな気がする。
良かったら、あなたと一緒に歌わせて欲しい――そう告げるために。


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2000/11/30 初出
2007/03/03 改稿

「Dear amadeus...」と対になる作品です。
サイトのHIT記念として人様に差し上げました。改稿で大分手を入れてます。
私小説風を狙ったので、主人公に名前やモデルはありませんw
大堂海岸展望台で歌っているのは当然あの人です。
posted by akiya at 03:36| ミラ小説アーカイブス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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